鹿野まち普請の会 トピックス
「鹿野まち普請の会」の会員さんの情報を中心に載せています。⦿10月21日(火)に、【第3回 鹿野学講座】として総勢27人で、松江への小旅行をしました。鹿野まち普請の会の基本目標の一つに【歴史・文化を大切にするまちにする。】というのがありますが、この目標達成の一助にと思い、今回の松江行きを実践しました。
⦿午前8時30分に鹿野を出発し、午前10時半過ぎに松江に到着しました。迎えてくれたのは、宍道湖に浮かぶ【嫁ケ島】でした。

⦿最初の見学地は、【松江城】でした。松江城は1611年に築城されました。全国に12ある現存天守のうち松江城を含む5つの城が国宝になっています。


⦿松江城の見どころは、①.望楼…360℃展望できます。②.鯱…木彫り銅板張り、向かって左が雄で右が雌です。現存では、最大です。③.入母屋破風 ④.懸魚 などです。内部も興味深いものがたくさんありました。最上階5階から、殿さまになった気分で松江市内を眺めました。

⦿中に入ると、全国の城の写真が掲示してありました。なんとその中に、私のふるさとの城【今治城】があったので、思わずパチリとしました。この今治城は、〈藤堂高虎〉によって築かれました。お堀には、瀬戸内海の海水が引き込まれています。

⦿昼食は、【こ根っこや】さんで宍道湖を眺めながらいただきました。

⦿午後からは、いよいよ今回の目的地【小泉八雲・セツ夫妻】に関係した場所を訪ねました。
⦿展示室1…「その眼が見たもの」「その耳が聞いたもの」「その心に響いたもの」をコンセプトのもとに、八雲の生涯を編年で紹介していました。

⦿展示室2…八雲の事績や思考の特色を、「再話」「クレオール」「いのち」など8つの切り口から描き出していました。
⦿展示室3…八雲に関する企画展示をしていました。

⦿続いて訪れたのが、【小泉八雲旧居】でした。

⦿この屋敷は、松江藩士・根岸家の武家屋敷でした。八雲が松江にいた当時は、空き家になっていました。庭のある侍の屋敷に住みたいと希望する八雲に貸すことになりまし
た。
⦿南庭に面する根岸磐井と妻アヤメ


●当時の二人には、こんな風に見えていたかも。

●八雲が使っていた「机」は、左目が悪かった八雲のために近くで見えるようにするために、高くしてありました。
⦿次は、武家屋敷の見学でした。

●長屋門・塀が続き、松江でも最も城下町らしい面影を残す武家屋敷。塩見縄手と呼ばれるこの地域は、江戸時代には中級武士の屋敷が立ち並んでいました。その中で唯一、当時のまま保存されているのがこの屋敷です。
⦿最後に向かったのがこの場所です。何の橋だか分かりますか。

●そうです。歌の場面で二人が渡っている橋が個の橋です。「宇賀橋」といいます。参加者の皆さんも、主人公になった気持ちで写真を撮りました。
⦿松江の滞在が4時間40分くらい、中身の濃い楽しい旅になりました。それにより、鹿野の歴史や文化に改めて目を向けることが出来ました。
⦿美味しい料理を食べながら、《鳥の劇場》の俳優さんたちによる【朗読劇・リーディング】をお楽しみください。

⦿・開 場…18時 ・朗 読…18時30分 ・食 事…19時
⦿第 1 夜
・期日…11月5日(水) ・会場…しかの宿『本田中家』 ・料金…10,000円
・料理人…川 崎 誠 さん ・俳優…後 藤 詩 織 さん
⦿第 2 夜
・期日…11月22日(土) ・会場…創作味処『そろそろ』 ・料金…7,000円
・料理人…神 山 孝 光 さん ・俳優…齋 藤 頼 陽 さん
⦿第 3 夜
・期日…12月6日(土) ・会場…台湾料理『稲妻飯店』 ・料金…6,000円
・料理人…山 田 大 樹 さん ・俳優…安 田 茉 耶 さん

⦿お問い合わせ…【いんしゅう鹿野まちづくり協議会】☎0857-84-1188
※たくさんの方のお出でをお待ちしています。
⦿10月5日(日)に開催予定だった運動会でしたが、当日のグランドの状況が悪くて、【中止】になりした。午前7時前に【中止決定】をした後、流沙川体育館で賞品に予定していた品物(消費期限があるもの)を、参加予定の13集落に分配しました。
⦿その後、準備していたテント等の片づけ・返却をしました。
⦿10月7日(火)に役員会を開催して、今年度の「反省事項」を話し合いました。

⦿令和6年度の運動会より
⦿2001年秋に第1回が開催されて以来、《鹿野祭》が地祭りの時に2年に1回のペースで開催されてきました。その【虚無僧行脚】が9月28日(日)に開催されました。

⦿まずは、参加者全員で《山中鹿乃助》の墓に『献奏』をしました。
⦿ここで、《山中鹿乃助》の簡単な紹介をします。
●尼子氏の家臣。亀井玆矩は山中鹿乃助の義弟であり、ともに尼子家再興をめざして戦いました。鹿乃助が尼子再興の夢に破れ非業の死を遂げた後、玆矩は彼を弔うため菩提寺である《幸盛寺》を建立し、その名に因んで命名した。

⦿次に、『幸盛寺住職さん』の話を聞きました。

『全員そろって記念撮影』 『ご本尊に向かって献奏』

⦿ご要望にお応えし、『献奏』をしました。
⦿遠くは松江からの方も来られるなど、たくさんの方が来られ『最後』になる、虚無僧行脚のショットに収められました。
