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「酒津のトンドウ」伝統文化を引き継ぐ酒津

電話のお問い合わせはTEL 0857-82-2990

〒689-0217 鳥取県鳥取市気高町酒津359-1

パンフレット


酒津マップ(PDF)884KB


酒津のトンドウ(PDF)1.04MB



酒津の歴史

  • 【酒津】さけのつ
因幡の白兎で有名な白兎海岸から西に車で5分程度の日本海に面した漁村です。
以前は純然たる漁村であった。
現在のように、国道9号線をはじめ陸上交通が整備されるまでは、
北に日本海を望み背後の三方を山に囲まれた隠れ里ともいえる陸の孤島であった。
酒津漁港では、トビウオ、鯛、ひらめ等を水揚げしています。


  • 【酒津小学校】気高町誌より
昭和30年  酒津小学校の創立は、明治七年五月二十三日で、観音堂を仮校舎として開校した。宝木小学校よりも八日後であった。
 独立した校舎が建てられたのは、創立から六年後の明治十三年三月で、今の漁業協同組合の 南、自治会館の東隣りに木造瓦葺き二階建てであった。この校舎は、明治二十六年十月、同三十三年夏、同三十五年七月に水害に見舞われ、そのたびに生徒は観音堂を仮校舎にしたり、臨時休校になったりした。
 明治四十年四月、生徒が増え教室が狭くなったので、低学年は午前、高学年は午後の二部授業がはじまり四年間続いた。
 その後、大正二年四月、酒津尋常高等小学校、昭和十六年四月、酒津国民学校として改称して、昭和三十二年四月宝木小学校に統合するまでの間、酒津小学校として続いた。
 この間、旧国道の酒津隧道付近に木造瓦葺二階建ての校舎が建築されて移転したが、その年月はわからない。
  • 【概要】Wikipediaより
 藩政時代は鳥取藩領の気多群母木庄(ほうぎのしょう)に属した。元は母木村の枝郷であったが享和3年(1803年)に新田として幕府に届出、天保5年(1834年)に分村した。
 村名は、当地に漁村が家を移して村を作った際に「樽谷」と呼ばれていたが、亀井武蔵守茲矩が領主の時に海辺に谷はふさしわくないとのことで樽に因んで酒津をあてたとされる。また戦国時代にキリスト教の伝来によって早くからキリスト教の聖地となっており漁民は海辺(港)で朝夕神に祈りを捧げていたことから、「捧げる」を「酒」になぞらえ(この地方では酒をササとも言った)、港を意味する「津」と合わせて酒津と命名したとも考えられる。
  • 【沿革】Wikipediaより
・天保 5年(1834年)       母木村から分村して酒津村となる。
・明治14年(1881年)9月12日  鳥取県再置。
・明治16年(1883年)       宝木宿(後の宝木村大字宝木)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる。
・明治22年(1889年)10月1日  町村制の施行により、自治体としての気多郡酒津村が発足。大字は編成せず。
・明治29年(1896年) 4月1日  郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡酒津村となる。
・昭和30年(1955年) 7月1日  宝木村・瑞穂村・逢坂村・浜村町と合併し、気高町が発足。同日酒津村廃止。気高町大字酒津となる。
  • 【教育】Wikipediaより
・酒津村立酒津小学校:合併後に気高町立酒津小学校となり、昭和32年(1957年)4月に気高町立宝木小学校(現・鳥取市立宝木小学校)へ統合。
・瑞穂村酒津村学校組合立気高中学校:所在地は宝木村大字宝木、現在の気高電機の位置。昭和43年(1968年)4月に気高町内の中学校統合により新・気高中学校となり、現在は鳥取市立気高中学校となる。
  • 【交通】Wikipediaより
・国道9号(旧国道18号)
 当初付近の路線は2度変更されている。最初は水尻池北岸から母木坂を通るルート(一部区間は後に県道宝木停車場酒津港線となった)であったが幅員が狭くてカーブが多く、また冬期の除雪も沿道住民に出動要請していた。このことから県(当時の建設省は河川管理を主にしており国道の新設・管理は県に委託していた)は新ルートを計画したが八田章一村長を始めとする酒津村の国道誘致運動により、酒津隧道(全長117.5m、1951年12月24日貫通、1953年3月完成)を経由し村の中心部を通るルートが開通した。その後交通量の激増により昭和48年(1973年)4月1日に酒津バイバスが供用開始し現在に至る。
 酒津隧道を通るルートはバイパス完成後の昭和49年(1974年)3月30日気高町告示第15号で気高町道宝木酒津水尻線(現・鳥取市宝木酒津水尻小沢見線)と認定、同年8月14日に正式に国道から降格された。

酒津のトンドウ

  • 左義長行事 酒津のトンドウ
「国指定重要無形民族文化財」
平成19年3月7日 文部科学大臣より国の重要無形民族文化財に指定された。

※左義長とは 小正月に行われる火祭りのこと

  • 【伝統行事を引き継ぐ酒津】
★酒津のトンドウ

 鳥取市気高町酒津で行われる無病息災や豊漁を願っての正月行事です。
 昔は正月14日、15日に行われていたが、平成12年(2000年)からは
15日に近い土、日曜日あるいは祝日が当てられ130年以上の歴史がある。
 まず、初日の午前8時から大人によるトンドウ作りが始まります。
 漁港に1本4〜5メートルの高さの松を中心に12本の孟宗竹を斜めに立てか
け、円錐形のトンドウを作り、その先端に鯛と扇子を取り付ける。
 また、それにミノグミのしめ縄飾りを3重に巻き付けると、裾が直径4メート
ルのものになる。あと、各家庭では正月飾りを持ち寄り、ミノグミに巻きこんだ
り結び付けたりする。
 行事の主役は、全員が小学生の男子。
 頭送り(6年生)、一番頭(5年生)、二番頭(4年生)、三番頭(3年生)、
四番頭(2年生)、五番頭(1年生)と決められ、頭送りは顧問格であるため、
一番頭が実際の指導的役割を果たす。
 午後2時には、裸足で上半身裸のパンツ1枚になった子ども達は海水で身を清め
海で拾った海草のモクを手に「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声のもとグルグル
振り回しながらトンドウの周りを3周する。その後、全員が分かれて全世帯の玄関
先で「ハラエタマエ・キヨメタマエ」と口々に唱える。つまり、「垢離(こり)」
の儀礼を行う。
 次いで、午後4時、自宅でお風呂に入った後、トンドウ宿(現在は自治会館)に
集まり、各家からもらった祝儀が分配され、赤飯をいただく。
 いよいよ翌朝の午前1時、今度は「一番オタキダデー、トンドトンド」と威勢よ
くふれ歩く。2時には二番オタキ、3時には三番オタキを行い、その時点で村人は
浜に出る。3時半、「トンドウに火を入れテーナ、トンドトンド」とふれると5時、
区長が火入れを行い、夜空を焦がして火柱があがる。


※画像は平成27年(2015年)に集落で募集し採用となったマスコットキャラクター

★トンドウ行事の変遷

トンドウは130年以上の歴史があります。
現在は酒津全体で1箇のトンドウをつくっています。
昭和30年代頃までは、東条、大中条、小中条、西条、樽谷の五地区が
トンドウをつくっていた。

(新)酒津小唄


(新)酒津小唄

(1番)
唄で夜明けで観音様の
桜パット咲きゃ 桜パット咲きゃ 娘も見ごろ
港酒津 花ぐもり ホイ 花ぐもり

(2番)
長尾岬に日の入る頃は 
波止場の灯台 波止場の灯台 明かりがともる
港酒津 波の音 ホイ 波の音
                     −間奏―
(3番)
夕なぎゃ 出船だ イカ釣り小船
広い沖あい 広い沖あい 漁り火 光る
港酒津 イカ暖簾 ホイ イカ暖簾

(4番)
ひろし 囲って いきたつ小船
今日は大漁だ 今日は大漁だ にぎわう浜よ
港酒津 大漁旗 ホイ 大漁旗
                     −間奏―
(5番)
あわび,や サザエ,や 宝の海だ
潮のにおいが 潮のにおいが おやじを思う
港酒津 ふるさとよ ホイ ふるさとよ

(6番)
神の使いに 清める子ども
夜明けのトンドウ 夜明けのトンドウ 天まで昇る
港酒津 日本一 ホイ 日本一


              平成24年6月8日
                酒津地区公民館



昔写真・地図

※画像をクリックすると大きな画像が表示されます。
  • 昭和53年頃酒津全景(1.3MB)
  

  • トンネル(酒津隧道)開通以前(1.8MB)
  
 ※当時の写真に後から色を合成したものです。

 PDFファイル(732KB)

  • 昭和45年頃(1.47MB)
  
 ※当時の写真に後から色を合成したものです。

  • 昭和35年当時の新聞記事(221KB)


  • 海抜表示地図
 酒津集落海抜表示地図(PDF)334KB

酒津地区公民館


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