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つどう まなぶ むすぶ 鳥取市立賀露地区公民館

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昭和100年三大出来事in賀露 第3回 賀露の砂丘地

昭和22(1947)年、アメリカ軍が上空から撮影した航空写真には、賀露の西浜一帯に広大な砂丘地が写っています。六区の網尾一男さん(明治44年生まれ)は、「西浜は古来、真っ白な砂浜であった」と記録しています。大正初期には養蚕業が盛んとなり、砂丘地の開発が始まりました。しかし、昭和14年頃から戦争の影響で絹の輸出が減少し、桑畑は次第に畑地へと転じました。


国土地理院所蔵 空中写真

昭和17年、この砂丘地の南側に福田軽飛行機株式会社が試験滑走路を設置しました。のちに日産輸送機株式会社がこれを継承し、陸軍の練習機飛行場として使用しました。終戦後は勧業建設株式会社が引き継ぎ、不時着用飛行場として活用されました。
昭和32年5月には鳥取市営飛行場となり、同年7月に供用が開始されます。その後、鳥取県はより近代的な地方空港の建設を計画し、旧飛行場の約500メートル北側に新たな空港を整備しました。昭和42年7月、県営鳥取空港(現・鳥取砂丘コナン空港)が開港します。旧飛行場跡地は住宅地として再開発され、現在も造成地には当時の滑走路の形がわずかに残っています。

戦時中、湖東中学校付近には福田軽飛行機の製造工場があり、日産輸送機株式会社が継承した後も戦時輸送機工場として多くの人が働いていました。工場の社宅は、現在の7区にありました。終戦とともに工場は閉鎖し、社宅は市営住宅として利用され、その後払い下げとなり、社宅のあった地域は「7区」として新たに生まれ変わりました。
砂丘地の一角に建てられた12戸の市営住宅から始まった町内会は、昭和23年3月には60数世帯がまとまり、「8区」が発足しました。昭和50年まで独自の町内会活動をすすめてきた上浜町内会は、昭和51年に「上浜区」として賀露町自治会に加入。上浜区に属していた市営飛行場跡地に位置する町内会は、平成9年2月に「西浜区」として新たな歩みを始めました。

白砂の砂丘が広がっていた時代から、空と海の玄関口として発展を重ねてきたまち、それが賀露です。鳥取砂丘コナン空港と鳥取港マリンピア賀露のエリアは、空と海の二つの港を「ツインポート」として一体的に発展させ、さらなる賑わいの創出と地域経済の好循環を目指しています。
賀露はいま、重ねてきた歴史を礎に、次の時代へ向けて新たな歩みを始めています。


参考文献 賀露町自治会(2009)「賀露誌」
     鳥取大学 地理学研究会(1975)「鳥大地理 第9号」
     鳥取県(2024)「鳥取砂丘コナン空港 空港概要」

  
 





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