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天神山城跡 |
和泉式部 胞衣塚 |
湖山神社 |
和泉式部 産水の井戸 |
八幡神社 |
史跡の丘 二本松 |
大隈段 古墳 |
忘機亭跡 |
猫薬師跡 |
栖岸寺 |
天神山城跡 |
文正元年(1466年)から久松山鳥取城に移る16世紀まで約1世紀間因幡山名氏の天神山城が因幡地方支配の拠点であった。 |
和泉式部の胞衣(えな)塚 |
和泉式部が生まれた時の胞衣(えな)(※胎盤)を埋めたところとされている。天明七年に安陪恭庵惟親(藩の侍医)が碑を建立「春くれば花の都をみてもなを霞の里に思いをぞやる」式部晩年の歌が刻まれている。 |
湖山神社 |
本殿玉石垣には尾車門人の横綱大砲萬右衛門ら4人の相撲取りの名が刻まれてあり、尾車文五郎との関わりがうかがえる。 |
和泉式部産水の井戸 |
平安時代の女流歌人和泉式部がこの地で生まれた時に産湯の水を汲んだといわれる井戸で「産水の井戸」として伝わっている。 父は大江政致で、やがて昌子皇太后(朱雀天皇皇女、昌子内親王、冷泉天皇皇女)の大進(皇后、皇大后職を掌る官名)となった人。母は越中守、平保衡(やすひら)の女(むすめ)で昌子内親王の乳人(ちちうど)として仕えた人である。和泉式部は父が当時栄えた因幡の国の任地にあったころ生まれたものと思われる。 |
八幡神社(島川) |
島川『八幡宮』は源氏の守り神であり、天神山城の鬼門の位置に鎮座。勧請年月不詳。因幡の守護をしていた山名氏の崇敬が非常に篤かったと言われていることから、15〜16世紀には既にあったと推察される。 |
尾車文五郎の力士塚 |
東京相撲初代尾車文五郎のタブサ(髪)とサカズキの遺品が埋められた墓碑は、明治31年二代目尾車等によって建立された。尾車文五郎は、湖山新田の小松家の次男として天保12年に生まれる。16才で上京し、東京相撲玉垣部屋入門、シコ名勝山芳蔵、明治3年西幕下十両、翌年入幕、最高位前頭五枚目まで進む。身長5尺8寸筋肉型であった。明治10年に引退した。のちに尾車部屋をつくり明治の大関大戸平広吉、大関荒岩亀之助、横綱大砲万吉工門を育てた親方として名高い。若いころ健啖家としての、民話が湖山地区に伝わっている。一日に3升食べたとか。16才で持ち上げたとされる石が尾車力石として碑のそばに現存している。 |
大隈段古墳 |
湖山池周辺は鳥取県内でも屈指の遺跡密集地である。古くは縄文時代から弥生・古墳時代・歴史時代(飛鳥以降)にわたる埋蔵文化財の宝庫である。大隈段1・2号墳は鳥取大学グラウンド北側の松林に位置し、特に1号墳は湖山池周辺にみられる10余基の前方後円墳の中では大型であり、規模・形態とも周辺古墳群を代表する前方後円墳である。 |
忘機亭跡 |
明和・安永のころ安藤箕山・岩本孤山人・伊藤千里などの詩人が秋葉山に集い、忘機亭を結んで陶然として共に機心を忘れたところである。今、孤山人の碑が現存している。 |
猫薬師跡 |
現在栖岸寺にまつられている薬師寺如来と猫のミイラが当初まつられていた堂の跡地。石碑がある。湖山長者・猫島(湖山池の島)等とつながる湖山猫薬師の民話がある。 |
■栖岸寺 |
元和・寛永年間に水中山栖岸寺として開かれた浄土宗の寺である。承応三年より三百年末の伝統を守り続けている「双盤念仏」は県の無形文化財にも指定されている。薬師如来と猫のミイラがまつられている。 |