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つどう まなぶ むすぶ 鳥取市立賀露地区公民館

電話でのお問い合わせはTEL.0857-28-1034

〒680-0909 鳥取県鳥取市賀露町南5丁目1718-3

ふるさと賀露を知る 「シル・チズ」


石碑探訪マップ




          
     石碑探訪マップ       石碑探訪マップ ご案内

ご案内


 @ 築港記念碑 A 濱口虎太郎翁碑 B 海難供養塔 C 今錨米吉之塚

 D 日本廻国供養塔 E 賀露築港基石 F 出口王仁三郎歌碑 G 忠魂碑

 H 開拓移民団出港之碑 I 賀露小学校跡碑 J 上小路神社旧石鳥居 K 力士塚

 L 小玉竹蔵翁碑 M 豊島新平塚

@ 築港記念碑 


西突堤の鳥ケ島寄りに「築港記念」と書かれた碑があります。「賀露村漁業組合」、「昭和7年竣工」などの文字も見られます。千代川史には、「昭和6、7年頃この突堤を漁業組合員自ら補修したことがある」との記録があり、その時の記念碑と思われます。(▲ ご案内へ)

A 濱口虎太郎翁碑 


濱口虎太郎翁は、松葉ガニ漁の漁期設定など海洋資源の保護や近代漁業の発展に尽力を尽くされました。昭和14年(1939)県議会議員に初当選、昭和25年(1950)には県議会議長を務め、地元の発展に貢献されました。昭和31年(1956)、藍綬褒章を受章されました。(▲ ご案内へ)

B 海難供養塔 


海上安全祈願と海難事故で亡くなった人の供養のため建立したものと思われます。建立者と思われる頭取2名の名(伊三郎、定三郎)が刻まれています。頭取(とうどり)」は、水運や船の運行・管理・取引を統括する責任者を指しますが、具体的な役職は不明です。(▲ ご案内へ)

C 今錨米吉之塚 


今錨米吉は、戦後、宮相撲や因伯相撲で活躍した力士です。とても強くて、因幡地方最後の横綱と呼ばれました。(▲ ご案内へ)

D 大乗妙典日本廻国供養塔 


大乗妙典日本廻国供養塔は、僧侶、修験、行者などが大乗妙典(妙法華経)を書き写し、国家安全などを願って全国(六十六国)を回り、一国一箇所(国分寺などの由緒ある霊場)に奉納することを無事に終わらせて、記念に建てられた石塔です。この石塔には、「文政九丙戊年ハ月」、「当村湊行者治右エ門」の文字が刻まれています。(▲ ご案内へ)

E 賀露築港基石


大正12(1923)年に始まった千代川改修工事に伴い、湖山川合流点に石巻堤延長190メートル、天幅5メートルを築造。これに接続して築堤延長220メートル、天幅7.5メートルを施工しました。賀露築港基石はその時の記念碑と思われます。(▲ ご案内へ)

F 出口王仁三郎歌碑 


出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)は、新宗教「大本」の二大教祖の一人。明治34(1901)年7月、新宗教「大本」の開祖 出口 直一行15人が出雲大社への往路三日間逗留され、出口王仁三郎聖師が三代教主の日輪受胎の霊夢を見るなどの神秘があったと記録されています。
賀露ケ浜回顧十首のうち一首(出口 直 書)。「海鳥の声かしましく賀露ケ浜のあしたになきて波の音高し」(▲ ご案内へ)

G 忠魂碑 


昭和3(1928)年7月に、帝國在郷軍人會賀露村分會が建設した忠魂碑。東善寺境内にあったものを昭和59(1984)年12月に現在の場所に移設されました。「賀露町英霊名簿」と刻まれた石碑が並んでいます。(▲ ご案内へ)

H 釧路開拓移民団出港之碑 


明治17(1884)・18(1885)年、政府の移住政策のもと、多くの士族が鳥取県から北海道釧路の地へ移住しました。当時の記録によれば、2年間で100戸の士族と5戸の師範農家が賀露から釧路へ渡ったとあります。彼らは、東善寺に集合し、三菱会社が用意した船に乗って賀露港を出港し、敦賀・函館を経由して4日間かけて釧路へ入港しました。(▲ ご案内へ)

I 賀露小学校跡碑 


平成3(1991)年12月、旧賀露小学校は全面移転し、平成6(1994)年2月にその跡地と旧賀露保育所の跡地を併せた9,948平方メートルを鳥取市より譲り受けました。平成12(2000)年10月、賀露町自治会は多目的広場として整備し、平成13(2001)年1月に「賀露ふれあい広場」と命名しました。(▲ ご案内へ)

J 上小路神社旧石鳥居 


享和2(1802)年、当時上賀露の庄屋を務めていた木屋長兵衛が尾道の石匠に依頼して再建したもので、本殿横にも石燈籠一対を寄進しています。いずれも持船の北前船で運んできた石材です。木屋長兵衛は、賀露神社にも寛政12(1800)年に四角大石燈籠を寄進しています。(▲ ご案内へ)

K 力士塚 


因幡地方は古くから相撲が盛んな地で、「因幡に行きて小角力(こずもう)とるな、出雲で小謡唄うな、作州で小棒ふるな」という諺もあります。賀露も多くの相撲人を輩出しています。中でも山野井鷲之助は、鳥取藩池田家のお抱え力士となった有名な力士です。佐渡が嶽部屋に入門して関脇まで出世しましたが、若くして亡くなりました。その強さは、賀露の民話「ひょうたん」として今でも語り継がれています。東善寺には山野井鷲之助も含めて賀露ゆかりの力士の功績を称える力士塚が14基、新道入口と晩稲公園隣接地にそれぞれ1基、計16基の力士塚が並んでいます。(▲ ご案内へ)

L 小玉竹蔵翁碑 


昭和18(1943)年に農業会理事に選任されて以来、地域農業の振興と農事開発に尽力されました。昭和21(1946)年には農地委員に当選され、農地問題の円満な解決に尽力されるなど、地域の指導者として多くの功績を残されました。その功労に対して、鳥取市長をはじめとする各方面から感謝状や表彰状が授与されています。(▲ ご案内へ)

M 豊島新平塚 


晩稲村の入口(千代川堤防の下)に豊島新平の塚があります。明治時代の宮相撲の最高力士で、因州但州で一番力があったといわれています。本名は前田新平。前田家は今の山本大治家の屋敷に在って、新平の子供の吉蔵、甚蔵も相撲が強かったそうです。(▲ ご案内へ)