ふるさと散歩


〇【鹿野祭り】とは

⦿原田氏所蔵の【鹿野祭り 絵巻物】

⦿城山神社の例祭は、もともと《妙見祭》といわれ、亀井氏在城中は春と秋の2回賑やかに行われていましたが、亀井氏の津和野移封後は中断しました。
⦿藩政時代の後半になると経済文化も発展し、鹿野の住民による《町おこし》として文化10年(1813年)許可され鹿野祭りとして復活しました。以来、現在にいたるまで連綿と続けられています。
⦿《鹿野祭り》の日程は、1月2日に各町内で行われる《初寄り合い》で始まります。
⦿次にあるのが、その年の《年行司》が各町の《役面・助役》を集めて行う《総集会》です。その会合で、その年の祭りをどうするかが話し合われます。その会が1月26日(日)に行われました。《宮総代・宮議員》は、その年の「神事」と予算のことを話し合います。以下のことが決まりました。
⦿今年は、地祭りとする。…神輿・屋台や獅子舞などはでません。
⦿4月12日(土)…宵宮 午後6時 登山

●城山神社 大鳥居 ⤴ ●城山神社 ⤵

⦿宮総代・宮議員・役面・助役の24名が、神社にのぼり【神事】を行います。
⦿4月13日(日)…宮総代・宮議員は、【稲荷神社】に午前8時30分に集合し、神事をします。


⦿「感謝の集い」に行ってきました。参加者は、駐在さん・読み聞かせの方・シイタケ植えなどでお世話になっている方、公民館長、総合支所の方々、民生委員の方、保護者会長さんなど、たくさんの方が招かれていました。
⦿最初は、招待者の自己紹介、その後「年長さん・年中さん」とのあいさつゲームをしました。
⦿仲良くなったところで、年長さんの【できるようになったこと発表会】がありました。


⦿「コマ回し」「縄跳び」「鉄棒」「ダンス」など、次々と発表していきました。どの子も素晴らしい出来栄えでした。特に凄かったのが、「紙芝居チーム」でした。話を作り、絵を描き、セリフを覚え、見ていて感動しました。

⦿会が終わり、手づくりのカレンダーをお土産にいただき、満足満足の帰りとなりました。

⦿【コマ回し・福笑い・紙でっぼう・風船羽子板・めんこ・お手玉など】の正月遊びを小鷲河・勝谷・鹿野地区の方々に教えていただきながら、楽しく活動しました。自分がやってみた遊びができた時には、みんなニコニコ笑顔になりました。


●最初に園長先生のお話です。ステージにおられるのは、地域の皆さん方です。


●昔とった杵柄で【めんことコマ回し】の手本を披露しました。子ども達から「がんばれー」の声援を受け、できた時には拍手喝采でした。


●コマ回しを一緒に楽しみました。

●風船で羽子板です。


●楽しい正月遊びが終わり、子ども達が手づくりした【ありがとう】のお土産をいただきました。参加者からは、『子ども達と一緒に遊び、たくさんの元気をもらいました。』の声が、たくさんありました。

●最後に、抽選で園からのお土産をもらい、帰路につきました。楽しい会でした。


⦿1月1日(水)に、「氏神さん」の【志加奴神社】にお参りしました。場所は、隣町の「下宿」にあります。歩いて約8,000歩の道のりでした。

●隣町との境界には、《出会い橋》という橋がかかっています。この橋、鹿野地区の人と隣の瑞穂地区の人たちが、昔々この橋で「出会っていたから」この名になったとか、真偽のほどは分かりません。

●河内川に掛かる橋を渡り、向こうに見える山の上に【志加奴神社】があります。登るのが年々大変になります。


●鳥居をくぐり、右側に鐘突き堂があり、そこを越えると立派な門に出会います。そこをくぐり石段を登ると、本殿が建っています。《右側が本殿》家族の【安全と健康】をお祈りしました。

●帰りは、この急階段を降りていきます。

●【出会い橋】まで戻ってきました。鹿野の町並みが見え、ほっとしました。元日は、天気も良く最高の「初詣」となりました。

⦿鹿野の「薬研堀」にある【辨天宮(弁天さん)】にもお参りしました。今年は「巳年」、昔ここを整備した時に、「白蛇」を見たという話が今も語り継がれています。

●昔「白蛇」が出たという「薬研堀」、ヌートリアが住んでいます。

●【辨天宮】です。

⦿鹿野にきて驚いたことの一つに、毎年1月4日に宗派に関係なく、「お寺さんの年頭のあいさつ回り」があることです。地区内にある「お寺さん」が回ってこられます。

●いつもの年は「封筒」なのに、今年の菩提寺「雲龍寺」さんは、蛇の飴でした。御利益あるかなあ。