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昔むかし、行基菩薩(ギョウギボサツ)という偉い和尚さんがいました。行基菩薩は全国を廻って、寺院の建立・田畑の測量・そして多くの道路・橋・池などを作りました。因幡の国の湖山池の辺を歩いてた時、湖山池の水深が浅いことに気がつきました。「そうだ、この池を埋め立てて広い田んぼを作ろう」と考えました。 アマンジャクは空高く真直に伸びた大木を切り倒して天秤棒とし、重い重い二つのモッコを肩の前後に振り分けて、「エッコラショ」と立ち上がりました。「ヨイショ、コラショ。ヨイショ、コラショ。」と、八東往来を湖山池目指して急ぎました。 湖山池の埋め立ては成功しませんでしたが、行基菩薩は鳥取平野を測量し、条里制区画の基準となる土地に、大きな杭を立てて都に帰ったと伝えられています。 大きな杭の立った村の名前を大杭村(大杙村)というようになりました。 ![]()
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