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「姉さん、因幡の家持から便りがあったかい」と、弟の大伴稲公が姉の大伴坂上郎女に尋ねました。「アッそうそう、この間、家持から手紙が届いてなあ、皆が元気で暮らしていると言って来ている。その中に歌が一首入っていたよ」と、手紙を稲公に差し出しました。「ほう、家持はやっぱり歌が上手だなあ『新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事』と詠んでいる。これは新任地、因幡の国の国司として、始めて迎えた正月に、部下を招待して新年宴会を催したときに詠んだ歌だ。今年の正月は、元旦と立春の日が重なったという、めったにないめでたい正月だった。それに瑞兆の雪まで降り積もっていたという。新しい年は良い事がたくさん重なって欲しいという、祈りの心がこもった立派な歌だ。私も十年程前に、因幡の国司を勤めたことがあるのでその心がよくわかる」と話した。その後、稲公は「因幡の人は誰も純朴で親切だから暮らしやすいしなあ」とつぶやいた。
昨年六月、因幡の国の国司に任ぜられた大伴家持は、坂上郎女と稲公の甥であり、また家持の妻・大嬢は坂上郎女の娘という関係であった。「それになあ姉さん、因幡の国府のある所は、大和のこの辺りの地形にとってもよく似ているところだよ。畝傍山・耳成山・香具山の大和三山と同じような三つの小山が近くにあるんだ。その中でも国府のすぐ西隣にある小山の姿は、ここ藤原京の宮殿跡から眺めた香具山に全くそっくりの形だ。私はその山を見る度に、香具山の面影が浮かんできて、故郷のことを思い出していたよ。」坂上郎女は話を聞いて、暫く考え込んでいましたが、「私はその香具山そっくりの山に、面影山という名前をつけて一首詠んだよ『わが妹子が面影山のさかいまにわれのみこいて見ぬはねたしも』この歌はなあ、私が愛する家持夫婦は香具山そっくりの、因幡の面影山の麓で暮らしているが、そこは大和から遠く離れているので、会いに行くことができないのは大変残念だ。私は大和で香具山を眺める度に、あなた達のことを思い出して、あなた達の幸福を祈っているよという私の気持ちだ」「姉さん、すごい、すごい。この歌が因幡に届いたら、家持達はきっと大喜びするよ」と稲公は答えました。
この歌は古今和歌六帖という、昔の和歌のテキストに掲載されたので、面影山が昔から歌に詠み込まれるようになりました。
いなばよと問はましものを恋しのび
忘られ難き面影の山
平 祐挙(一〇〇五年)
澄のぼる面影山の月見れば
心を空に移りぬるかな
藤原 為定(一一一六年)
知る知らぬ御法に洩れぬ諸人の
跡したわるる面影の山
遊行 上人(一七三一年)
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