雲山法清寺の白衣観音

 

 昔むかし播磨の国の赤穂海岸の沖に、いつの時からか、夜になると、ぼんやりと光るものが見えるようになり、魚が全く捕れなくなったので、漁師達は大変困っていました。
 漁師の中に亀三郎という正直者がいました。

ある夜、夢の中に百衣観音が現れて「私は赤穂灘の東南の方角にある二つの小島の間の海の底に、長い間沈んだままになっている百衣観音である。夜明に、光っている海に網を入れてみよ。百衣観音は衆生を救済するため出現するであろう」と告げて消えました。亀三郎は不思議に思い、同志と相談し、夜明を待って船を出しました。海面が美しく紫色に輝いている所へ網を入れ、海の中を探ると、海面はますます輝きを増し名香が漂ってきて、網の中に白衣観音が現れました。このことはやがて播磨の国の殿様、池田輝政公のお耳に入り、白衣観音は場内に祭られることとなり、亀三郎は沢山の褒美を貰いました。

 殿様には女の子がいなかったので、白衣観音に女子が誕生するよう一生懸命に祈り続けました。御蔭を受けて珠玉のような美しいお姫様が生まれました。お姫様はすくすく成長なされて仙台の伊達家へお輿入れされました。その際、白衣観音も念持仏として伊達家へお持込みされ、信心深く祭られました。お姫様が病気でお亡くなりになられた後も、伊達家で大切にして香華を手向られていたました。

 ある夜、伊達家の当主伊達吉村公の夢の中に白衣観音が現われて、因幡の国の良い場所の清浄な地に祭ってほしいという言葉を聞きました。

 伯耆の国、退休寺の機外和尚は寺の用事で江戸に滞在していました。吉村候が浅草観音に参拝した時、偶然にも機外和尚と出会い、いろいろと話がはずんでいるうちに、白衣観音が因幡へ移りたいという志がある旨の話が出ました。樹外和尚は白衣観音を譲り受け、自ら背負って持ち帰ることになりました。

 背中の白衣観音の御利益を受けて、道中は何事もなく無事に退休寺に帰り着きました。機外和尚は前々から懇意にしている下池田家の池田利恭公に、白衣観音の由来を詳しく話したところ、利恭公は自分の先祖が播磨の池田輝政公であることからして、不思議な因縁の廻りあわせに深く感動され、機外和尚と共に、白衣観音を安置する、因幡の国の清浄な良い場所を探し求めました。お城に近い雲山村に、昔清冷山本願寺という清浄な寺の跡があるということが判明したので、その地に玉雲山法清寺という寺を建立し、白衣観音を本尊として迎え安置しました。それ以来、白衣観音は雲山の法清寺で手厚く祭られ、村人達の信仰を集めています。