的 場

 かつて米作農家の集落として、連綿と続いてきた的場は、押し寄せる都市化の波によって、今や新興住宅地区となり、昔日の面影はない。この大変革は、的場に移転新築された鳥取市立病院と、ほぼ地区全域に亘って施行した本的場土地区画整理事業がその主因と思われる。この区画整理により以前約20町歩あった水田は皆無となり、かわって高層マンションや賃貸住宅、それにコンビニエンスストアほか各商業施設等を、幅員9m〜12mの新しい道路でつないでいる。さらに周辺を含めたこの的場地域には、園児約300名が通う幼稚園、美容院、会計事務所、各科の病院、宅急便の集配送拠点もできて、時代に即した住環境を形成している。
 また、集落の施設も大きく変貌し、この期間に次々と手がけた事項を挙げると、先ず平成2年には共同作業場を大幅に縮小し、集会場(的場クラブ)の横に移設した。更には集落の中を流れる小川に次々とグレイチングをかけて通路とし、道路の拡幅を完成した。
 平成2年、庵寺を再建し、これにより昭和18年9月の鳥取大震災によってうけた倒壊しかねない程の損傷を、度重なる補修で凌いでいた不条理を解消した。
 変革の主因の一つである土地区画整理事業については、農家が共同していわゆる「虫喰い乱開発」を防いでいた無傷の水田地域を、それまでの市街化区域から逆線引きし、開発禁止の区域(調整区画)とする役所の意向に対応して、「地域開発しよう」との気運が盛り上り、平成2年、地権者による土地区画整理組合を結成して、自らが開発に当ることをきめた。平成5年3月にこの組合の設立を知事が認可、7月から大規模(工事対象面積158000u、造成宅地面積121000u、道路延長3870m、3ヶ所の公園4750u)な工事に着手し、平成8年8月この事業を完了した。
 変革主因のもう一方の鳥取市立病院については、市内幸町から的場地区に移転がきまり、平成4年着工、平成7年春に竣工し4月より診療を開始した。
 併行的に平成6年から的場地区に都市ガスの供給が始まり、町名も旧集落を的場、新地域を的場1丁目から4丁目と命名された。
 平成4年には市立病院南側に、併設の形で鳥取市介護老人保健施設「やすらぎ」が開設され、更に市立病院北西の2丁目に養護老人施設として「なごみ苑」、その横に鳥取市南デイサービスセンター・鳥取市老人介護センターが平成4年から11年の間に順次開設された。
 又、的場の洪水対策として懸案となっていた揚水場が集落のすぐ東に新設され、往年の浸水常襲地の汚名返上となって、住民の不安は払拭された。更に公共下水道工事も平成7年に着工して、平成10年迄にほぼ全域で次々と供用開始となった。
 的場の南側に隣接の南バイパス道が平成10年から部分的に供用開始され、その後平成13年国道29号線に昇格して、県東部の大動脈となったことも特筆に値する。
 この様に多くの公共投資が実現して、的場地区は鳥取市街地南端の一農村から新生鳥取市の中で、正に重要な地位を占める迄になってきた。

(美保南地区・美保南地区公民館 発足20周年記念誌 美保南のあゆみ より)