叶茶屋

 宮長村の南方千代川東側沿いに位置する集落で、永享2年(西暦1430年)の願文に「加納」の地名がみられます。村内を、堤防を兼ねる智頭往来が通り、一里塚・御茶屋・赤池の渡りがありました。本集落(現叶土居)は往来から外れた東側にあり、出村として往来の西側に茶屋が立ち並び叶茶屋と称されました。
 「因幡誌」によれば、茶屋21軒を数え、茶屋を核として農業以外の生業就く者も多かったようです。今でも叶茶屋では、お茶屋・菓子屋・タバコ屋・醤油屋・豆腐屋・油屋・飴屋・鍋屋のほか、大工・左官・つき屋(精米)等々、当時の店と職業が、屋号として存続し呼称されております。
 叶茶屋は千代川筋に近く、大水時に堤防からの濁流や決壊の危険に晒されてきました。
 時代が移り参勤交替時には、鳥取藩主の休憩所になる御茶屋が設けられていて、藩主が帰国する際には、召抱えの相撲取りや御用町人が御茶屋の外で出迎えたといいます。
 明治12年(西暦1879年)の叶村の家数は93軒、男210人、女194人、牛20頭、水車1基、人力車3台、船3艘の記録が残っております。
 現在の叶茶屋は、旧国道53号を挟んで家屋が建ち並び、南北に細長く延びている集落です。昭和25年(西暦1950年)、当地に千代川の伏流水を利用する鳥取市の上水道水源地(叶水源地)が完成し、町名も全市に知られるようになりました。この水源地からの送水量は市全体の90%以上を占め、市の上水道の基幹となっております。
 現在、集落東側にバイパス道が建設されて町内の交通量も少なく、家数43戸、人口160余人のこじんまりとした町内会となっております。人口のわりに、小学校児童は7人前後で推移、高齢化も進んでおり、往時に比べると物静かな町内となり寂りょうを感ずるこの頃です。
 主な町内活動として、お地蔵尊祭り、町内スポーツ大会、納涼祭(8月13日)などがあります。
 前記の現状を踏まえて、お年寄りから幼稚園児までが、お互いに語り合い 助け合い コミュニケーション能力をはぐくむ場として、人や村を育てる人間関係のより良い構築を願いつつ、行事を継続実施しているところです。

(美保南地区・美保南地区公民館 発足20周年記念誌 美保南のあゆみ より)