鳥取市中山間地域の宝(菖蒲綱保存会)

鳥取県立博物館 収蔵資料

県指定無形民族文化財
国の重要無形民族文化財

宝木の菖蒲綱

<歴史>
起源は不詳ですが、嘉永3年(1850年)頃には既にあったと伝えられている伝統行事です。
毎年、旧暦の端午の節句に行われていましたが、戦後はこの日に近い日曜日を選んで行われるようになりました。

<組織>
参加者は古町と新町の小学1年生から中学2年生までの男子で、両町とも中学2年生の早くうまれた者を
団長(大将)に次の者が副団長として、これを中心に組織されます。
綱の準備から最後の綱の奉納までのほとんどの作業を行います。

<行事の流れ>
両町とも数週間まえより、歌の練習(応援歌)・応援旗の作成・相撲の練習を行います。
前日、各家々では屋根に菖蒲・カヤ・ヨモギ6〜7本を1束にしたものを屋根の上に投げ上げておきます。
当日午前0〜2時過ぎ、各町の少年達はリヤカーを引き、軒先に上げてある菖蒲の束を集めて回るのです。
この夜、小学校高学年以上の者は団長の家に泊まりこみます。

当日朝7時ごろから、各町の作業場で大人3〜4人で約10メートルの縄を3束縒りあわせ、綱を作ります。
少年達は出来上がった綱を持ち、古町は母木神社へ、新町は両国梶之助の墓に参詣します。
この時、応援旗を振りながら、応援歌を歌って身を浄まるとともに、綱引きと相撲の勝利を祈願します。

その後、それぞれ両町の全家庭を綱を持って祝って回ります。
綱は玄関先に頭の方を持ち込み、「エエトー、エエトー、エエトー」と囃しながら、綱を上下に振り、地面にたたきつけます。
ここで応援旗を振って、応援歌を2曲くらい歌って祝います。
各家庭からは若干の祝儀が出され、これがこの行事の経費となります。


全家庭を回り、昼食後、古町と新町の境界で双方の綱の尾を固く結び合わせ、綱引きをするのです。
勝負は3回。2勝した町が勝ちとなり、勝利の歌で祝います。

綱引きが終わると、結び合わせた綱をほどき、各町それぞれの道を通って浜へ出ます。
浜では2本の綱で土俵を作ります。そして、古町・新町対抗相撲大会が行われます。
年少者から順に勝ち抜き戦で取り組み、勝敗を競います。

相撲が終わると、綱を湊神社へ運び上げ、祠脇(ほこらわき)にある松の根元に巻きつけ、奉納します。
以上で菖蒲綱の行事が終了します。

<無形文化財へ>
昭和61年11月21日に県指定無形民族文化財に指定されました。
さらに、昭和62年1月8日には、「因幡の菖蒲綱引き」として水尻・青谷町青谷・岩美町大羽尾の
菖蒲綱綱引き行事とともに、国の重要無形民族文化財に指定されました。
それに対し、宝木部落では保存会が設立され、今後とも私たちの祖先が伝える民族文化財を正しく伝え、
保存保護に努めていきたいと皆で協力しています。

参考資料:宝木部落史 わがまち宝木(平成17年2月発行)