富桑地区の沿革
 「富桑村」と呼称される以前は、「品治(ほんじ)郷」と云われていました。
 1899年(明治22年)に、富桑村が誕生する以前の富桑地区は、1884年(明治17年)、連合戸長役場が設置され、「行徳」は瓦町・今町・東品治・南本寺などとともに、第四連合戸長役場に、「田島」・「西品治」は鋳物師町・川下町・新品治町とともに第五連合戸長役場に属していました。
 1889年(明治22年)10月1日、全国に市町村制度が施行され、市町村長をもって管理されることとなり、その時、「行徳村」・「西品治村」・「田島村」の3村を合併して、「富桑村」が誕生しました。(この時、邑美郡鳥取町が独立して、鳥取市になっています。)
 1923年(大正12年)5月10日、岩美郡富桑村が鳥取市と合併。
 当時の富桑村は、面積3,085㎡、戸数594戸、人口2,917人でした。鳥取市は、この合併により、面積10,796㎡、戸数6,915戸、人口38,573人となりました。
富桑地区
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